半跏趺坐 -hankafuza-

ソウルジェムの濁りきったアラサー第二童貞がココロの平穏を目指す話

嫌な記憶はいつまでも残るのに

良かったことはすぐに過ぎ去って忘れてしまうので、ブログが元々はウェブ日記であったように今日のことを記しておこうと思う。

 

・市立美術館へ行った。企画展が明日までだったが、間に合ってよかった。岡村桂三郎という、日本画をルーツにした造形作家の展示である空想上の生物には目がいくつもあって、人によっては不気味に見えそうなそれらは、私には穏やかな眼差しをしているように感じられた。その作品群の中にいて、ああ自分は、今までも今も、悪いことをしているときもいいことをしているときも、誰かにずっと見ていてほしかったのだなと思い至った。これは大きな気づきであった。

他にも、まだ知らなかった作家を知るいい機会となった。芸術作品というのは、その作品のテーマに関わらずどれもが人間の善性の顕れであり、それらに触れることは澱んだ自分の精神の浄化につながるのだと確信した。

 

・友人が遠くから訪ねてきてくれた。もう15年近くの付き合いになる気のおけない人間で、手土産も用意してくれていた。グーグルホームミニというそうで、横浜のヨドバシカメラでわざわざ購入してきてくれたという。実用品なので大いに利用したい。

30分ほど歩いて海岸まで案内したあと、もはや定番となった有難い説教タイムとなった。いろいろ歯に衣着せぬ物言いに毎度多少傷つくが、それはその発言が的を得ているからなので大いに参考にしたい。いわく、どうにも私はいつも機嫌が悪そうで今まで写真に笑顔を写せたことがないから自分の機嫌は自分でとるようもっと行動して楽しいことを積極的に探せということらしい。こんなに人当たりよく良心的な人間もいないと声を大にして言い返したくもなるが(このようなことをその場で反論できた試しがない)、気のおけない人間の前だとぶっきらぼうな地が出てしまうのだろう。そして実際、心のどこかでは小声で「何一ついいことがない」と呟いている気もする。一つ言いたいとすれば、それを彼自身の周りで彼女がいたり結婚したりしている奴との比較で指摘されるのは気に入らない。他人は他人でそれぞれの人生を歩んでいてその一部分を切り取って周囲が勝手に讃えたり羨んだりするのは勝手だが、それを個人の主観でお手本のごとく持ち出してくるのは野蛮な暴力である。うるせえ知ったこっちゃねえ。

 

・前の職場の後輩の安否を危惧していたが、LINEのメッセージに既読すらつかない日が何ヶ月も続いて連絡がつかずにいた。それが今日やっと通話がつながり、お互いの近況を話すことができた。言うなれば我々は仮面ライダーブラックの南光太郎と秋月信彦のような関係で、私はゴルゴムに彼を残したまま一人逃げ出してきたようなものなのだ。だが向こうも私に変な罪悪感を抱かせないよう気を遣って連絡を控えていた節もあったようで、今はそれなりに元気そうな声をしていたので安心した。そう遠くないうちにまた酒を酌み交わせるだろう。

 

・博多とんこつのラーメン屋で中太ラーメン大盛りを頼んだが、間違えて普通盛りで作ってしまったとのことで100円を返金してくれた上に通常の細麺の替え玉をサービスしてくれた。トラブルの対処としては完璧なので、今後も贔屓にしたい。ただ日本人のサービス業らしく、たかが一つのミスで報告時と提供時に加えて、こちらの去り際にまで謝罪を重ねなくてもいいのになあと感じた。