間違えた人間の話
かつて成功したが、今は敗北者となった人
世間から後ろ指指された人
社会的に抹殺された人
犯罪に手を染めた人
彼らの「その後の人生」というものに
いま一番興味がある
人を傷つけ、法を犯して
良心の呵責や葛藤に苛まれ
後悔で眠れぬ夜を迎えても
もしくは、傍若無人に何食わぬ顔で過ごせたとしても
いのち尽きるまで、人生は続いていく
そして人は、間違える生き物であり
これは誰も避けては通れない宿命である
「もう二度としません」
「同じ過ちは犯さないと誓います」
誰に誓えるのか?
何に誓えるのか?
神にでも誓うのかい?
君の神はそんなに信用に値する存在かい?
聖書にだって書いてあるんだぜ
「誓ってはなりません」って
仏の顔も三度までなら大目に見てくれるらしいが
不寛容な現代、ただの一度だって失敗が許されない空気が充満している
謝って済む話ならたくさんある
キリストさんは、7度嘘をつかれても7度謝れば許してくれるらしい
壊れたら何度だって直して使うやり方が好きだ
ほつれたボタンを自分で縫い付けるだけで、さほど気に入っている訳でもないダッフルまがいの安物コートにも愛着が生まれる
もっとも、効率型消費社会においては使い捨てが一番手っ取り早い
でも、それを人間にも当てはめちまっていいんだろうか?
(できれば金輪際関わり合いになりたくないロクデナシも何人かいたから、ここで理想論の壁にぶつかる……)
人間に美しさがあるとすれば、その一つは「悔い改める力」だと思う
自らの過ちを認めた姿、表情は爽やかで、見る人の胸を打つ
それはいま生まれたばかりの赤ちゃんを見るようだ
その、一度膝をつけた地面から再び本人が自力で立ち上がろうとするとき、ほんの少し手を差し伸べる優しさがあれば
それが出来ないのなら、せめて遠くから黙って見守るくらいの我慢を周囲がしたっていいんじゃあないかと思うのです
最後に私の確信なのでもう一回言いますね
「人とは間違える生き物であり
これを誰も避けては通れない、宿命である」