半跏趺坐 -hankafuza-

ソウルジェムの濁りきったアラサー第二童貞がココロの平穏を目指す話

雑感雑記

一度でも心に受け入れた人を引き剥がすことは

自ら指の爪を引き剥がすが如く

受け入れがたい痛みを伴う

そういったら

重すぎると苦笑されるのだろうか

 

 

 

・・

自分や周囲を

昨日より少しでもマシにしようとする

些細な心がけ

そんなものが

神も仏も不在の世界で

最後に自分を救ってくれる

 

日常生活こそ宗教だという仮説

 

 

 

・・・

Plaisir d'amour ne dure qu'un moment ;
Chagrin d'amour dure toute la vie.

 

愛の喜び  それは一瞬の輝き
愛の苦しみ  それは一生の痛み

 

ーJean-Pierre Claris de Florian(1755-1794)

“Plaisir d'amor(愛の喜び)”

 

 

 

・・・・

目に入る光景を

痛みとともに刻まれた記憶と

0.001秒の瞬間で結びつけたがるのは

忌むべきエラーだから

全て無視する

 


無視する 無視する 無視する 無視する

無視 無視 無視 無視 無視 無視 無視 無視

 

 

 

・・・・

いついかなるときでも

葛藤がある

 

休日に出かけたい

一方、どこにも行きたくないだとか

 

やっておくべき勉強があり、すでにリストアップ済みであるが

何一つとしてやる気がないだとか

 

あの人に声をかけたほうがいい

一方、黙っていたいとか

 

これを突破できる要素こそ

決断なのだろう

 

それを人はどこで身につけるのか

 

もしくは

最初から選択肢などなければ

可能性を前に戸惑う必要もない

贅沢さをかなぐり捨てられたのならよかった

 

ただただ人の一生が

決められた労働と生活で回転し

やがて老いて動けなくなり

命を終える

そんなファンタジーでも構わなかった

 

 

 

・・・・・

「1年後の自分はどうなっていますか?」という問いかけがあった

こういう類の質問はいつも苦手だ

 

セックスがしたいわけじゃない

セックスだけがしたいわけじゃない

 

ただ、もし心も体も

場合によっては自分の全財産をも預けて構わないと思えるような

信頼できる女性が現れるなら

その人との行為中に腹上死できるなら

本望だろう

そんな猥褻なことを考えた

 

つまりはロマンスの果ての絶頂を夢見ている

盛りのついた女子中学生と脳内は一緒ということだ

 

自分という低俗な凡人が考えることなど

その程度でしかない

 

一年後も5年後も10年後も同じだ

夢を見れない将来なら 暗雲が立ち込めている

それ以上は何も考えたくない